黒柳徹子の本名や身長・母や家族構成などプロフィールを調査!

 

こんにちは、まろです。

 

 

戦後、日本でテレビが普及し始めた1950年代からテレビの司会・舞台公演などを中心に活躍してきた女優、黒柳徹子さんは、世代を超えてとても人気がありますよね。

 

 

今回は黒柳徹子さんのテレビや映画で活躍し始めた時代から、さまざまなレギュラー番組での活動、彼女を育ててきた父と母、自身の本名や身長などのプロフィールについて紹介していきます。

 

 

それではいきます。

 

 

黒柳徹子のプロフィールを紹介!本名や身長もチェック!

黒柳徹子01

 

黒柳徹子さんは、1933年に東京都赤坂区乃木坂で生まれ、大森区の北千束町で育ちました。

 

 

父親は、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたバイオリニストの黒柳守綱、母親は声楽家・エッセイストとして知られる黒柳朝。とても音楽文化意識の高い過程で育っています。

 

 

兄弟は妹と弟がいる4人兄弟の長女。

弟である紀明さんはヴァイオリニストで、妹の眞理さんはバレリーナ・エッセイスト・美容家として現在も活躍しています。

 

 

黒柳徹子さんの身長163cmで血液型はA型。

身長163cmと言えば、現在でも女子としては背が低くない方だと思います。

黒柳徹子さんが生まれた時代から考えると、むしろ身長が高いほうだったのではないでしょうか。

 

 

ちなみに「黒柳徹子」という名は本名で、家族には男の子が生まれると思われ「徹」と名付けられる予定でしたが、女の子だったので下に子をつけましたそうです。

 

 

これはよくありますよね。

男の子と思って準備していたら女の子だった、とかその逆とかね。

それで名前にちょっと無理やり感が出たりするのは面白いですよね。

人ごとならですが・・・。

 

 

話を黒柳徹子さんに戻しましょう。

出身校は、東京都の香蘭女学校(現在の香蘭女学校高等部)。

当時では5年制の旧制女学校だったことから、これは現在の中学・高校にあたります。

 

 

女学校を卒業後、東京音楽学校の声楽科に進学・卒業しています。

 

歌

 

当時はオペラ歌手を志願してこの大学を選びましたが、入学後に方向を転換することになりました。

 

 

良いお母さんになって、自分の子供に人形劇や絵本を読み聞かせられるようになるため、NHK放送劇団に入団するのです。

 

 

結構大きな進路変更ですね。(笑)

 

 

NHK放送劇団のオーディションに受かって、1953年にテレビ女優第一号として女優デビューしています。

 

 

当初は女優として、また子供番組やバラエティー番組など週6、7本のレギュラー番組を持っていました。

 

 

1976年には「徹子の部屋」がスタートし、ドラマの役を演じながら司会をすると見る人が混乱すると考え、女優業は控えていました。

 

 

司会では「ザ・ベストテン」やNHK紅白歌合戦、またクイズ番組にもレギュラー出演をしています。

 

 

テレビ出演の他にも、平和運動家としてユニセフの親善大使として活動しています。

 

 

また、1981年に、黒柳徹子さん自身が患っていた「注意欠陥・多動性障害・学習障害」と、トモエ学園での体験を題材にして書いた「窓際のトットちゃん」を執筆しています。

 

 

発売当初はヒットするとは考えられていませんでしたが、現在世界35か国で翻訳をされており、累計800万部の戦後最大の大ベストセラーとなっています。

 

 

そして現在も放送が続いている「徹子の部屋」は、同一の司会者による「番組の最多放送回数記録」として世界ギネス記録にも認定をされています。

 

 

やっぱりすごい経歴ですね。

そしてまだ現役ですから。

記録はまだまだ続いて行くのでしょう。

 

 

黒柳徹子のエピソード

輝く女性

 

 

黒柳徹子さんは、テレビに出るようになってから、ジャイアント馬場さんから勧められたヒンズースクワットを毎晩50回続けて足を鍛えているようです。

 

 

また、雨が降る日も、毎日欠かさずウォーキングを30分〜1時間行っています。

趣味では水中ヨガも行い、80歳を過ぎても子供の時にかかった「結核性股関節炎」を意識しながら、体を動かし鍛えています。

 

 

これが現在85歳になるにもかかわらず、舞台公演なども変わらず元気に行えるひみつなのでしょう。

 

そのプロ意識が本当にすごいです。

 

 

また、幼少期には身体の病気だけではなく、ADHDの症状もあり、公立小学校を1年生の頃に退学をしています。

 

学校

 

退学後は私立小学校の「トモエ学園」に入学し、自発性や自主性を一番にした教育を受けてきました。

 

 

黒柳徹子さんの自叙伝であるベストセラー「窓際のトットちゃん」にも、トモエ学園で過ごしたエピソードが書かれています。

 

 

トモエ学園の校長先生には初めて会った時から、前の学校のことや飼っている犬のことなどを4年間も話し続けましたが、校長先生はちゃんと最後まで話を聞いてくれたのです。

 

 

温かい校長先生の言葉に黒柳徹子さんはいつも元気付けられていたそうです。

 

 

自分を理解してくれる人との出会いが、その後のテレビなどでの活躍に繋がっていったのかもしれませんね。

 

 

なんだか心がほっこりするエピソードですね。

 

 

黒柳徹子の母や家族について

家族関係

 

ここでは黒柳徹子さんの母親・父親について少し紹介していきますね。

 

 

母親・黒柳朝

 

黒柳徹子さんの母・朝さんは、北海道の出身で開業医の父を持ち、代々松山藩の家臣である名家です。

 

 

岩見沢高等女学校を卒業後、上京し東洋音楽学校に入学。

在学中に黒柳守綱と出会い、喫茶店で夜遅くまで話し込んだ末に彼の家に泊まり、結婚の話になりました。

 

 

親に歯向かうことが許されない時代に家から勘当されてまで守綱との結婚を決断。

 

 

当時、医者の娘で良家の令嬢だったにもかかわらず、門限を破り知り合ったばかりの男性の家に泊まった時に勘当を覚悟していたようでした。

 

 

なんかすごいドラマチック。

黒柳徹子さんの母親らしい情熱的な方ですね。

 

 

父・黒柳守綱

 

徹子さんの父・守綱さんは、1944年に戦争で満州に渡り、戦地で演奏家としての役割を果たしバイオリンを演奏しました。

 

 

敗戦後は、ソ連に抑留されシベリアの日本軍捕虜収容所にいたと言われています。

 

 

母・黒柳朝のすごさ

 

母の朝さんは、黒柳守綱さんが不在中、子供を育てるため裁縫や行商の仕事を行っていました。

 

 

黒柳守綱さんが帰還してからも行商は続け、1982年に自伝エッセイ「チョッちゃんが行くわよ」を連載し執筆活動を始めたのです。

 

 

ピンチがあっても明るく乗り越えてきた芯の強い母の存在があったからこそ、85歳になった今でも、テレビの他にも数多い活動をこなす黒柳徹子の力の源になっているのかもしれませんね。

 

 

まとめ

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

 

今回は「黒柳徹子の本名や身長・母や家族構成などプロフィールを調査!」について紹介しました。

 

 

「黒柳徹子」という本名でデビューして、数多くのレギュラー番組を持つ黒柳徹子さんのアクティブで元気の秘密は、幼いころから傍にいてくれた偉大な母を見てきたからかもしれませんね。

 

 

プロフィールに書かれた身長を見ても、163cmという低すぎない堂々とした身長で、テレビの世界に出てきたのだといえます。

 

 

黒柳徹子さんは80歳を過ぎた今でも、ますますの活躍が期待される女優です。

 

 

本日も最後までありがとうございました。

 

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