小泉信子(小泉純一郎・姉)と宮本佳代子(小泉純一郎・妻)の関係がヤバい!

 

こんにちは、まろです。

 

 

代々政治家を輩出する政治家一家の長男として生まれた小泉純一郎元首相。

 

 

30歳半ばで見初めた元妻・宮本佳代子さんとは幸せな結婚生活を送ると思われていましたが、その結婚生活もわずか5年で終わりました。

 

 

その原因が、小泉純一郎さんの実姉である小泉信子さんではないかと噂されています。

 

では、離婚の原因と噂されている小泉信子さんとは一体どんな人物なのでしょうか。

 

 

それではいきます。

 

 

小泉

信子は小泉純一郎 (小泉純一郎の姉)の参謀!?

パワー

 

小泉信子さんは小泉純一郎元首相の実姉で小泉家の三女です。

 

 

こちらが小泉信子さんですね。

小泉信子01

 

初めは防衛庁長官などを歴任していた父、小泉純也さんの秘書を務めてました。

父の死後、政界に進出した弟の秘書も30年以上務めました。

 

 

父と弟の2代にわたり秘書を務めた彼女は「陰の総理」とまで言われるほどの女傑で、男勝りでとてもハキハキした性格で厳しい性格だったようです。

 

さらに小泉事務所では政策秘書だけでなく、金庫番や小泉元首相の身の回りの世話もしていました。

 

 

自民党の派閥の一つである「清和会」では秘書兼副会長も長年歴任している上、側近をあまりつけなかった小泉元首相が唯一相談相手をしていたのが小泉信子さんでした。

 

 

国の政治を判断ん出来るほどの思慮深さと知識を持ち、弟とはいえ、時の大統領である小泉純一郎さんの政治相談相手になれるとは、能力的にもよほどの実力があったのではないでしょうか。

 

 

また、小泉信子さんからの影響はとても強く、小泉元首相の歌舞伎とオペラ好きは小泉信子さんの影響だとも言われています。

 

 

また、小泉純一郎さんの次男・小泉進次郎さんが父の後継者になると決めた時も、小泉信子さんは永田町のイロハを叩き込み、立派な政治家に育てました。

 

 

小泉信子(小泉純一郎・姉)と宮本佳代子(小泉純一郎・妻)の関係

姉

 

小泉元首相と宮本佳代子さんがお見合いした当時、小泉元首相は30代半ばで衆議院に当選していました。

 

 

一方、宮本佳代子さんは青山学院大学の学生でした。

 

 

馴れ初めはお見合い結婚の二人でしたが、不思議なことにこの結婚に祖父の泰道照山さんは反対していました。

 

 

もし結婚しようものなら縁を切ると言うほど反対していたようです。

 

 

その反対を押し切って結婚した二人でしたが、結婚後5年で離婚することになります。

 

 

当時の小泉家では全ての実権は姉である小泉信子さんが握っており、嫁である宮本佳代子さんには決定権がありませんでした。

 

 

小泉信子さんと宮本佳代子さんの関係があまり良くなかったとしても、夫である小泉元首相が宮本佳代子さんの味方をしていれば離婚しなかった可能性はあるでしょう。

 

 

しかし当時、小泉元首相は小泉信子さんに絶大の信頼を寄せていたので、宮本佳代子さんの味方になることはありませんでした。

 

 

離婚の時も小泉元首相は「君子、去るものは追わず、来るものは拒まずだな」と言っており、冷淡な夫と不仲な姉が原因だったと推察されます。

 

 

これは妻としてはつらい立場ですね。

せめて夫が妻である宮本佳代子さんの味方であったら、離婚もなかったかもしれませんね。

 

 

総理大臣・小泉純一郎の嫁としての重圧

 

女性悩み

 

女性セブン2014年2月20号の記事に小泉家関係者の証言が掲載されていました。

 

 

そこには「結婚当時、小泉家の長男の嫁であるB子さんは何もさせてもらえず、小泉さんの二人のお姉さんが家の実権を握り続けました。

 

 

そのためB子さんは孤独を感じるようになり、半ば追い出されるようにして家を出たんです」とあります。

 

 

宮本佳代子さんのこととは書かれていませんでしたが、同じ境遇であったことは想像できます。

 

 

また、永田町関係者が言うには、小泉信子さんは小泉家の嫁の理想像として全国を飛び回る夫の留守を守って子育てをしっかりやり、陰ながら夫を支える控えめな女性と言っていたそうです。

 

30代半ばの小泉元首相と大学生であった宮本佳代子さんは一回り以上の年の差でした。

 

 

そして、小泉信子さんはそれ以上も年上です。

 

 

政治家一家の嫁という重圧と一回り以上離れている夫と夫の姉の中で、とても肩身の狭い思いをしてきたのではないでしょうか。

 

 

代々続く政治家一家の嫁であり、夫は現役の衆議院議員。

 

 

宮本佳代子さんはエスエス製薬の元会長の孫で、青山学院大学に通っていたので育ちは良かったと推測できます。

 

 

しかし、慣れない結婚生活な上に夫の政治活動を陰ながら支えるというのは難しかったのでしょうか。

 

独身

 

もし宮本佳代子さんが小泉元首相と二人三脚で頑張っていたら、もしかしたら固い絆で結ばれていたかもしれません。

 

 

しかし、そのポジションにはすでに実姉の小泉信子さんがいたので不可能でした。

そして、小泉家では姉である小泉信子さんが実権を握っており、宮本佳代子さんには決定権がなかったのです。

 

さらに、宮本佳代子さんの問題点は、そんな居場所がない宮本佳代子さんに寄り添わなかった小泉純一郎さんにあるかもしれません。

 

 

小泉元首相は大変ドライな性格をしており、宮本佳代子さんの味方をしなかったのも離婚の大きな原因でしょう。

 

 

まとめ

まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

 

今回は「小泉信子(小泉純一郎・姉)と宮本佳代子(小泉純一郎・妻)の関係がヤバい!」についてしょうかいしました。

 

 

永田町のすべてを知り尽くした女傑で、「陰の総理」とまで言われた小泉信子さんと、エスエス製薬の元会長の孫で令嬢であった宮本佳代子さん。

 

 

育った環境も住む世界もまったく違っていたと思います。

 

 

もし性格は違えど、お互いを尊重し合っていたら違った結果になったのかもしれません。

 

 

そして、小泉純一郎さんがお宮本佳代子さんの味方になっていたら、もしかしたら離婚は避けられたかもしれません。

 

 

母親がいなくなった小泉孝太郎さん、小泉進次郎にどれほどの影響を与えたのか。

それとも小泉信子さんが母代り立った方が良かったのでしょうか。

 

 

これは今となっては分かりませんね。

 

 

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

小泉純一郎さんについてはこちら

 

をご覧くださいね。

 

 

小泉家長男である小泉孝太郎さんについてはこちら

 

をご覧ください。

 

 

小泉家次男の小泉進次郎さんについては

 

もご覧下さいね。