こんにちは、まろです。
ビートたけしさんが、36年連れ添った嫁の北野幹子夫人と離婚したと発表がありました。
たけしさんと幹子夫人は以前から、別居状態で、たけしさんも家には帰っていないが、お金だけちゃんと渡してあると公言していました。
これは、離婚せずに、別居しながらも奥様の生活はちゃんと面倒をみようとしていたと思っていましたから、この離婚発表は衝撃的でした。
今回は、そんなビートたけし(北野武)さんと、嫁の北野幹子夫人の馴れ初めについて調べてみました。
それではいきます。
嫁の北野幹子(きたのみきこ)について
こちらの画像が嫁の幹子さんです。
隣は、もしかしてたけしさんでしょうか・・・?
簡単なプロフィールを紹介しておきますね。
[su_box title=”北野幹子(きたのみきこ)” box_color=”#0d3cd1″]- 氏名:北野幹子(きたのみきこ)
- 旧姓:松田幹子(まつだみきこ)
- 生年月日:1951年
- 年齢:68歳(2019年6月現在)
- 出身地:大阪府
- 高校:武庫川女子大学附属高等学校
- 大学:武庫川女子短期大学部
- 職業:元漫才師
- 家族:長男(北野篤)・長女(北野井子)・孫
幹子さんのご実家は、由緒正しいお寺で厳しく育てられたそうです。
しかし、1971年に「司ミキ」の芸名で漫才師としてデビューしています。
その後「渚ミキ」「内海ミキ」と芸名を変更して、内海圭子・内海好江さんの弟子となり漫才師として活躍していきます。
ビートたけしと嫁の北野幹子の結婚生活について
その後「ミキ&ミチ」の「桂ミキ」(何回芸名を変えるのでしょうか・・・)として漫才をしていた寄席で、北野武さんと運命の出会いを果たします。
たけしさんは、当時売れない若手芸人、幹子さんの方が売れていたため、生活は全て幹子さんが面倒をみていました。
足りない分はアルバイトまでして生活費を工面したそうです。
今から考えると、現在のビートたけし(北野武)を育てなのは、嫁である北野幹子さんだったはずです。
たけしさんは幹子さんに頭が上がらないはずなのに、それが離婚なんて!
同棲期間を過ごした後に、1983年に入籍。
この時には、すでに2人の子供がいました。
実はこの入籍にも問題がありました。
結婚後も、未入籍の期間が長く続きました。
原因は、芸人として売れ始めた、たけしさんの度重なる浮気によって、家に帰ることがほとんどなかったからです。
これに堪忍袋の緒を切らした幹子さんが、結婚届をたけしさんの了承なしに提出したそうです。
さすがは幹子さんも芸人さん、やる!
その後、幹子さんの不倫報道などもありましたが、ほとんど別居状態で二人の結婚生活は続きます。
有名な話で、たけしさんが結婚から幹子さんが待っている自宅に帰ったのは、たった4日だけだった・・・・という衝撃的な話もありました。
たけしさんと長年親交のある山田邦子さんも、「たけちゃんの奥さんは、(家でずっとたけしさんを待って支えている)ものすごい立派な人だから」と証言しています。
仲の良い時期もあったでしょうに・・・・。
若い当時の二人の貴重な夫婦漫才の映像もありました。
何より、たけしさんのお母様である北野サキさんは、何をおいても幹子さんの味方となって支えてくれたそうです。
これは幹子さんも心強かったでしょうね。
ビートたけしと嫁の幹子は駆け落ちだった!?
たけしさんと幹子さんとの結婚は駆け落ちだった!と言われていますが、実際はたけしさんと幹子さんの「駆け落ち」というよりも、幹子さんがたけしさんから「家出」をしたと言うほうが適当ですね。
これは、たけしさんの浮気癖に悩んでいた幹子さんが、一時期不倫をしていたことがありました。
お相手は落語家の6代目笑福亭枝鶴(しょうふくてい・しかく)さんで、たけしさんの友人とも言われている人物です。
こちらがその枝鶴さんです。
感じの良さそうなジェントルマンですよね。
幹子さんが惹かれるのも無理ないかと思います・・・・(笑)
こちらの枝鶴さんのもとに幹子さんは駆け落ち?家出?をしてしまいました。
それを知ったたけしさんは、慌てて連れ戻しに枝鶴さんのもとに行ったそうです。
その時どんなやり取りがあったのか気になりますよね(笑)。
連れ戻しに行ったということは、たけしさんは、幹子さんのことを大切に想っていたんでしょうね。
まとめ
今回は「ビートたけし(北野武)と嫁(北野幹子)は駆け落ち婚だった!?」について紹介しました。
たけしさんと幹子さん、40年近く連れ添った間柄に何があったのかはわかりませんが、これで一区切りつけて、たけしさん、幹子さんともに、これからそれぞれの人生を歩んで行ってもらいたいですよね。
たけしさんの浮気に悩まされていた幹子さんも、これですっきりしたのかもしれませんよね。
最後まで読んでいただきありがとうございまいした。