こんにちは、まろです。
元横綱の輪島大士さんが死去していたと報道されました。
死因は咽頭がんだったそうです。
横綱を引退してからはプロレスラーになったりと、少年時代の僕をとてもワクワクさせてくれました。
あれだけ強くて人気もあったのに八百長疑惑なんて・・・。
今回はそんな輪島大士さんの「八百長疑惑の結末」や「告別式やお別れの会」について詳しく調べてみました。
それではいきます。
輪島のプロフィール・経歴をチェック!
最初に輪島大士さんのプロフィールを紹介しておきますね。
[su_box title=”輪島大士プロフィール” box_color=”#0d3cd1″ title_color=”#ffffff”]
- 名前:輪島大士 (わじまひろし)
- 愛称:蔵前の星、黄金の左、ワジー
- 生年月日:1948年1月11日
- 年齢 (享年):70歳
- 出身地:石川県七尾市
- 身長:185cm
- 体重:132kg
- 血液型:A型
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金沢高等学校から相撲部で活躍。
なんと高校2年生の時には、そのあまりの相撲の才能に、第48第の横綱である大鵬が二所ノ関部屋で勧誘に来た、というエピソードもあり、輪島大士さんの将来性の大きさがうかがえますよね。
その後は日本大学へ進学します。
卒業後は花籠部屋に入門。
ここからプロの力士として歩み始めます。
この花籠部屋でも入れの特別待遇が用意されていました。
なんと、新入りが必ず行うちゃんこ作りや兄弟子への雑務などの免除、他の新弟子たちとの協同生活ではなく、大学生活で住み慣れた日大の宿舎での生活、さらには食事は師匠の自宅でいただくという、当時では考えられなかった超・異例な待遇が話題になりました。
これはすごいですね。
強い縦社会においての「異例措置」が許されるぐらい大物だったのでしょう。
その後は本当にすごい活躍ですよ。
幕下を2場所連続の全勝優勝で当時の最短記録で十両に昇進、その後4場所で新入幕入りを成し遂げます。
まだまだ続きますよ。
大関に昇進してからは、なんとわずか4場所の5月場所では「全勝優勝」を成し遂げ横綱に昇進。
わずか3年半という、これまた超・異例のスピード出世で横綱となりました。
そして相撲史上初となる本名横綱が誕生!
四股名が「輪島」。
本当だ、本名ですね。(笑)
トレードマークの金色の廻しや「黄金の左」と呼ばれた左の下手投げが当時は大フィーバー。
下手投げで横綱当時の輪島大士さんが勝った時はニュースでも盛り上がりましたよね。
その活躍から「相撲を取るために生まれてきた男」や「天才」と呼ばれる事もありました。
1981年3月に横綱を引退してからは、1986年から全日本プロレスに入門してレスラーとして歩み始めます。
プロレス引退後はタレントやアメフトチームの監督を務めて話題になりました。
輪島大士の八百長疑惑がヤバい!
輪島大士さんには現役時代に「八百長疑惑」がありました。
一体何があったのでしょうか。
調べてみました。
実は現役時代の輪島大士さんは、千代の富士や鷲羽山のような小兵力士には盤石の相撲を見せ勝ちきっていましたが、高見山のような巨漢相手にはとても弱かったようです。
なんと高見山には同一相手への最多記録となる金星7個を与えています。
これに対して、あるいは苦手な高見山との勝負で「勝ち」を譲ってもらってい噂に対して「八百長疑惑」があったようです。
高見山が引退して東関部屋を開いたときには、
部屋を建てることが出来たのは輪島のおかげ
と発言していたことが問題になりました。
また輪島大士さんが花籠部屋を潰した原因が6億の借金ですが、その中には輪島大士さんが八百長で星を買う資金にしていた分もあるそうです。
放駒理事長 (元大関・魁傑)は、輪島大士さんと同じ花籠部屋の後輩力士ですが、先輩にあたる輪島大士さんが勝ち星を金で買い昇進していくことに嫌気がさしたそうです。
実はこの借金のカタに「花籠部屋」まで入っていました。
その借金を返すあてが無いため、輪島大士さんの奥さん (先代親方の娘)が自殺未遂を起こしています。
これらの問題は相撲協会でも前代未聞の不祥事のため、輪島大士さんは相撲協会から廃業を言い渡され、花籠部屋も閉鎖に追い込まれました。
弟子たちは全て放駒親方の部屋に移籍となっています。
この事で、輪島大士さんの妻の母親、つまり先代親方の奥さんが自殺。
その後、輪島大士さんは妻と離婚しています。
このことから、輪島大士さんは、相撲協会から永久追放のような形で追い出されています。
輪島大士の告別式やお別れの会日程や場所は?
輪島大士さんの告別式やお別れの会の日程や場所は決まっているのでしょうか?
調べてみましたが、まだ公表はされていませんね。
大きな葬儀になるので、その準備などに時間がかかるのではないでしょうか。
相撲関係者だけでなく、プロレスやタレント活動もしていましたから、そちら方面への案内、アメフト関係など関係先が多岐にわたりますからね。
場所として考えられるのは、地元石川県七尾市の格式高いお寺や葬儀場、又は関係者が集まり易い東京かもしれませんね。
または、通夜や告別式だけ親族だけで行い、お別れの会は別の日に行う、という事も考えらえます。
よくあるのはホテルの会場などでしょうか。
相撲協会からは離れていますが、両国国技館でのお別れの会も可能性ありですね。
北の湖理事長や九重親方が亡くなった時は、両国国技館でお別れの会が開催されました。
輪島大士さんの場合はどうでしょうか。
相撲協会からは永久追放されていますが・・・・。
けど、テレビでも人気のあった輪島大士さんですから、業界関係者だけでなく、一般の人もお別れをしたいですよね。
何より、横綱「輪島」のファンの人も多いでしょうから。
詳しく分かり次第追記して行きますね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は「輪島大士の八百長疑惑の結末がヤバい!告別式やお別れの会を調査!」について紹介しました。
輪島の「黄金の左」が出た瞬間、観客は総立ちで盛り上がったのではないでしょうか。
八百長疑惑がなく、相撲に対してもっと真面目であれば、きっと「輪島部屋」の親方になって、相撲協会で活躍されていたのではないでしょうか。
それにしても八百長問題の顛末がひどすぎます・・・・。
どうか安らかにお休みください。
ご冥福をお祈りします。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。