こんにちは、まろです。
今年2018年の8月、山口県周防大島町で行方不明になった2歳児の男の子を発見して、一躍時の人となったあの“スーパーボランティア”尾畠春夫さんが、ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演することが決まりました。
こちらは情熱大陸ではありませんが、尾畠春夫さんの人柄がよく分かる動画がありましたのでご覧ください。
これには驚きです。
だって尾畠春夫さんがスーパーボランティアとして有名になったのは8月。
そして「情熱大陸」の放送が9月23日。
この短期間でテレビのドキュメンタリーとしての映像を作れたことが驚きです。
だって尾畠さんは芸能人ではなく一般人で、さらに全国にボランティア活動で忙しくしているはず。
そんな撮影用の時間など取れないはずなのに!
そこまでして尾畠春夫さんの番組を作りたいのか「情熱大陸!」
まあ、でも楽しみですよね。
観る方としては。
今回はそんな情熱大陸に出演する”スーパーボランティア”の尾畠春夫さんの「wikiプロフィールや経歴」「嫁や家族」「名言 (語録)」について詳しく紹介していきますね。
尾畠春夫さんは、一体どんな方なんでしょうか。
それではいきます。
尾畠春夫(ボランティア)のwikiプロフィール・経歴を紹介!
[su_box title=”尾畠春夫のプロフィール” box_color=”#0d3cd1″ title_color=”#ffffff”]
- 名前:尾畠春夫 (おはたはるお)
- 生年月日:1939年
- 年齢:78歳
- 出身地:大分県国東市
- 身長:161cm
- 職業:ボランティア活動家
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尾畠春夫さんの職業が「ボランティア活動家」っていうのが、すごくかっこいい。
「ボランティア」だけだどなんか語感が弱い感じがしますが、「ボランティア活動家」だと、そこに強い「意思」を感じませんか?
「ボランティアを継続していく強い意志がある」と感じるのは僕だけでしょうか。
とにかくかっこいい。
経歴
尾畠春夫さんは大分県国東半島の貧しい家庭の7人兄弟の4番目に生まれています。
兄弟、多かったんですね。
何と、小学5年生の時に当時41歳の母親を亡くしています。
お母さん、若い・・・・。
小学5年生という事は大体10歳くらい。
まだまだこれから母親が必要になってくる多感な時期ですよね。
かなり寂しかったのではないでしょうか。
そしてますます貧しくなっていく過程事情のため、小学5年生で近所の農家に奉公に出される。
母親を亡くした同じ年に家から出されて、他所の家に働きに出ています。
すごい人生ですね。
奉公に出されたことで、「世の中なるようにしかならない。やるだけやってやろう」と奉公先の家族を自分の家族と思い、がむしゃらに働いたそうです。
そのため中学校にはわずか4カ月しか通えなかったという経験をしています。
その後、中学校を卒業すると「元気がいいから魚屋になりなさい」という姉に従い、鮮魚店での修行を始ています。
お姉さんの「あんたは元気だから魚屋ね」という考えも面白いです。(笑)
10年間の修行の後、鮮魚店を開業するための資金を貯めるため、土木会社に就職しています。
開業資金を貯めるために3年間がむしゃらに働いて得た技術や経験が、今のボランティア経験にすごく生きていると、尾畠春夫さんは話しています。
そうか、それで他の被災地で土を掘り返したりする作業が、妙に手際良いわけですね。
納得しました。
そして1963年4月に結婚、11月には、念願の鮮魚店「魚春」を開業と、忙しい毎日を送ります。
結婚もして、お店も持って人生にかなりのやりがいを感じていたのではないでしょうか。
さあこれからだぞ!っていうやりがいです。
それにしても鮮魚店の名前が「魚春」。
やっぱり「春夫」の「春」からきているんでしょうね。
なんか可愛いです。(笑)
順調に営業していた「魚春」を65歳を機に閉めています。
なぜ?って思いますよね。
今後の人生をボランティア活動家として歩むためです。
ずっと「人に、社会に対して恩返しがしたい」と考えていたそうです。
ゆっくり年金暮らしとか、生涯「魚春」でやっていく、とかじゃなく、まったく違う「ボランティア」に人生をかけてみる。
この決断が本当にすごい。
すごいじいちゃんです。
尾畠春夫さんは、このボランティア活動のことの準備なのか、40歳で登山を始めて、45歳の時には来たアルプスの55山を単独縦走を成し遂げています。
そして60歳あたりからホームグラウンドとなる由布岳登山道の整備をボランティアとして始めています。
現在でもう17年目というキャリアです。
すごい・・・・。
登山やボランティア整備なと、今後ボランティアで生きるための準備をいろいろ見越して活動していたんですね。
本当にすごいじいちゃんです。
こういうじいちゃん、かなり好きです。
今後のボランティア活動も応援したくなりますよね。
ボランティア歴を調査!
“ボランティア活動家”としての尾畠春夫さんはどんな活動をされてきたのでしょうか。
詳しく調べてみました。
本格的には2004年の「新潟県中越地震」にボランティアとして参加。
その後は2011年3月「東日本大震災」、2016年「熊本地震」、2018年7月「西日本豪雨」と多くの被災地でボランティア活動を行っています。
2016年12月には、大分県佐伯市で行方不明になり、約21時間後に発見された当時2歳の女の子の創作にも参加しています。
特に活動として有名なのが、2011年3月、東日本大震災被災地の宮城県南三陸町での活動。
この時は、がれきの中に埋もれた写真を拾い集める「思い出探し隊」の隊長として約500日間も活動をしています。
この時には好きだった酒をきっぱりと止めて取り組んでいます。
本当にすごい気合の入り方です。
こちらの身が引き締まります。
2018年8月には、山口県周防大島町家房で3日間発見されなかった男児をわずか30分程で発見、救助しています。
この時にすごく話題になりましたね。
「スーパーボランティア」として!
その時の映像はこちらからご覧ください。
本当に見つかって良かったです。
この時は山口県警から感謝状が贈られています。
このような活動の姿勢から、尾畠春夫さんは、若く経験の浅いボランティア参加者から「師匠」と慕われたり、現場に尾畠春夫さんが現れると、その場の雰囲気が一瞬で引き締まる事から「神」のようだと言われたりしているそうです。
そりゃ、若いボランティア参加者にとっては「師匠」や「神」になるんでしょう。
何といっても、「志と経験値」が違いますからね。
また、尾畠春夫さんの自宅には人生相談にくる人も多数いるそうです。
まさしく「人生の神」なんですね。
長年のボランティア活動に対して、大分県からは「ごみゼロおおいた作戦功労賞」や「日出町功労者表彰」を、環境省からは「平成26年度地域環境美化功績者表彰」、山口県警からは感謝状を受章しています。
なんだか尾畠春夫さんが「選ばれた人」のような気がしてきました。
僕だけでしょうか?
尾畠春夫(ボランティア)の嫁 (妻)や家族は?
尾畠春夫さんの嫁 (妻)や家族についても調べてみました。
尾畠春夫さんは1963年に結婚しており、家族は嫁 (妻)と48歳の息子、45歳の娘、それに孫娘が1人と孫息子が4人います。
お孫さんが5人も!
たくさんですね。
これだけ世間から注目されている尾畠春夫さんは、家族や孫から見たらどんなおじいちゃんなんでしょうか。
ちょっと気になりますよね。
被災地でも、明るく冗談で場を和ませる尾畠春夫さんですから、きっと家族やお孫さんにも明るくて気の良い頼れるおじいちゃんだと思います。
だって、人生相談までされるぐらい、人から信用されている尾畠春夫さんですよ、きっとその飾らない真っすぐな性格や人柄を家族も知っているはず。
嫁 (妻・奥さん)
調べていて面白かったのが、家族、特に嫁 (妻)、奥さんについてです。
「カミさんは、いまは旅に出ている。一人旅です。「自由にしたい」って。
5年前に出かけて…、まだ帰ってない」
と、尾畠春夫さんがコメントしています。
え?
奥さんは、一人で旅に出ている・・・・?
「自由にしたい」って、
それって別居してるってことじゃ・・・・。
うん、いろいろありますよね。
夫婦の間の事ですからそっとしておきましょう。(笑)
まあ、こんなある意味天然素直な旦那様だと、奥さんからすれば大変かもしれませんね。(笑)
ちなみに今の自宅は、嫁 (妻)と老後をゆっくり過ごすために買ったものなので、奥さんも鍵は持っているそうです。
いつでも帰れる状態にしているようですが・・・・・。
帰ってきてくれるのでしょうか。
これだけメディアに注目されましたから、絶対どこかで奥さんも尾畠春夫さんの事を耳にしているはずです。
奥さん、早く帰ってきてくださいね。
家族・息子
公務員で市役所に勤めている息子さんの事を
「自分とは真逆の人生を歩んでいる。」
と話しています。
息子さんは、それぐらしっかりと堅実な生活をされているのでしょう。
だってもう48歳で家庭がありますから。
なかなか父親のようには生きませんよね。(笑)
尾畠春夫さんは、過去に息子さんから
「魚屋を継いだほうがいいかな」
と聞かれたことがあるそうです。
その時は、
「お前には継がせないよ」
と怒ったそうです。
「自分の人生だから、自分で決めて歩むべき。」
と、息子さんに話したそうです。
しびれますね。
めちゃくちゃかっこいい親心です。
なかなか思っていても言えませんよね。
「お前の人生なんだから好きにしなさい」とは。
冷たいんじゃなく、息子さんの事を本当に大切に想っている「愛」からくる厳しさですね。
グっと来ます。
やはり尾畠春夫さんは、嫁 (妻・奥さん)や家族に対しても深い愛情をもって接しているようです。
尾畠春夫(ボランティア)の名言 (語録)がスゴい!
尾畠春夫さんは、その独得の感性からく言葉・名言でも注目されています。
少しですが紹介しておきます。
なかなか心に染みるものばかりですよ。
「口約束も契約」「言うたことは守る」
これは山口県での行方不明になった男の子を発見した時の事。
子供の親や家族に「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していた尾畠春夫さんは、山口県警からの子供の引き渡し要請を拒否。
この時には
「おまわりさんが、法律で私たちに渡してくださいっていうから、ダメですよって断った。
家族の方と見つけたら、お渡ししますからって言ってあるから。
だから私はなんぼおまわりさんだろうと、私が例え、罰を受けてもいいから、この子は必ず、家族の人に手渡しして渡そうて決めた。
口で言ったのも契約だからな。言ったことは私は守らないと嫌だからね。なんぼ警察であろうが、大臣来ようが、関係ないです」
と話して、直接自分で抱っこして家族に引き渡しています。
警察も大臣も関係ない。
自分が言ったことだから守る。
めちゅくちゃカッコいいです。
対価はいただかない。
頂くのは「こころ」。
ボランティア先では何も求めない。
人を頼ったり物を求めたりしてはいけない。
ボランティアは自己責任。自己完結。
さらに、
「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻めという言葉がある」
と、ボランティアの心構えをこう話しています。
更に、行方不明の男の子を家族に引き渡した後、家族の方に食事や休憩をどうぞと勧められても断っています。
これも尾畠春夫さんのボランティアのルールとして
「子供渡した後、おじいちゃんから、中に入ってお風呂入って、ご飯も用意してあるからと言われたけど、私はダメですと。
玄関開けて、中に入るという事、ボランティアとして失格だと思っている。
だから家にも入らない。風呂、ご飯も一切頂かない。私はそれでいいと思う。尾畑春夫は自分のやり方がある。それを通しただけ」
徹底してますよね。本当に。
かと思えば
年金生活で愛車でボランティアに駆けつける尾畠春夫さんは
「全部、車中泊です。お金ないもん」
と明るくコメントしています。
全然飾らない、この感じが好きですね。
「日本は小さな島国だから、どんな災害が起こるか分からないけど、来たら来たで対応すればいいと思います。来るなって言っても来るんだから」
「地球って70億人、人がいるけどみんなに平均に朝は必ず来ますからね。今日は悲しいかもしれないけど、明日の朝になったら必ずあなたにも太陽が射しますから、夢を持って前へ行きましょうって私は聞かれたら言うんです」
「朝は必ず来るよと、振り向いたり立ち止まったりしないで、前へ前へと進みましょうと、一歩前進という言葉が好きです」
本当に大きい視野ですよね。
災害が起きたらみんなで助け合って対応しようって、そんな大きな心の人は初めてですよ。
僕を含めて、ほとんどの人が、災害が来たらどうしようどうしようと慌てている中で、この尾畠春夫さんの言葉は本当に響きます。
最後にもう一つだけ紹介します。
尾畠春夫さんの78歳の年齢とボランティアの大変さから、身体の調子はいかがですか?
と言う取材の質問に対して、
自分には3つ悪い所があります。
「顔が悪い」「色が黒い」「足が短すぎる」
その3つが悪い。(笑)
と笑顔で冗談にしてしまう。
もう一度言いますが、本当にこういう飾らないところが大好きです。
冗談にして明るくしようとする気持ち、世の中、笑っていた方が楽しい、そんなシンプルな考えて方がとても心に響きます。
まだまだ尾畠春夫さんの名言はありますが、一部だけ紹介しました。
グッとくるでしょ?
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「尾畠春夫のwikiプロフィールや経歴・嫁や家族・名言がヤバい!」について紹介しました。
テレビで話しているのを観たりして、尾畠春夫さんの人柄に惹かれた人は多いんじゃないでしょうか。
僕もその内の一人ですが 。(笑)
今度はどこでどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。
とても楽しみです。
こういうじいちゃん、めっちゃ好き。
でも本当に身体には気をつけて欲しい。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。