こんにちは、まろです。
長嶋茂雄さんの嫁であり妻、そして長嶋一茂さんを長男とする4人の子供の母親として、家族に支えた長嶋亜希子さん。
超のつく有名人の家族としてはメディアへの露出がかなり少なかったといえます。
こちらが亜希子夫人です。
笑顔の素敵な朗らかな女性ですよね。
嫁として国民的スターを支え、有名人になった息子を支えた亜希子さんご自身は、有名学校卒業、語学堪能、留学経験といった興味深い経歴の持ち主でした。
今回はそんな亜希子さんの家族とのエピソードを紹介していきます。
それではいきます。
長嶋亜希子の経歴・プロフィールをチェック!
亜希子さんは皇太子妃・雅子さまの出身校としても知られる田園調布雙葉 (ふたば)中学校・高等学校の出身。
中学校・高等学校在学中にアメリカに留学、そのまま現地の高校そして大学(ミネソタ州の聖テレサ大学)を卒業しました。
そのため、英語に加え、フランス語とスペイン語も堪能だったそうです。
これって、当時の事を考えると、女性で高学歴、留学経験もあり語学も堪能ってかなり特別な女性ですよね。
少数人数だと言われている雙葉出身で留学、アメリカの大学卒業という経歴を持つ亜希子さんは将来の展望もまた様々な可能性を考えていたことだと思います。
この経歴、特に語学力が長嶋茂雄さんとの馴れ初めに深く関係しています。
長嶋亜希子と長嶋茂雄の馴れ初めを紹介!
1964年の第18回オリンピック東京大会でこの語学を駆使してコンパニオンとして参加していた亜希子さんを、座談会に出席していた茂雄さんが見初めることになったそうです。
前途有望、才気あふれる亜希子さんと、プロ野球の道を選び既に巨人軍の三塁手だった茂雄さん。
そんな2人が結婚に至るには茂雄さんの並々ならぬアタックだけではなく、亜希子さんも茂雄さんの人となりに好印象を持った結果だと言えますよね。
結婚式は1965年1月26日、渋谷区南平台のカトリック渋谷教会で挙げられました。
披露宴はホテルニューオータニだったそうです。
なんて豪華な結婚式!
亜希子さん、とても品があって綺麗ですよね。
読売新聞社副社長や日本テレビ社長、巨人軍からは川上哲治監督、藤田元司コーチ等からの祝辞が送られたそうです。
長嶋亜希子と長嶋茂雄のエピソードが面白い!
亜希子さんは有名人である茂雄さんと結婚後は、極力表舞台には出ないようにしていたそうです。
しかし夫である茂雄さん、息子である一茂さんからは様々なエピソードが語られています。
息子の一茂さんとの有名なエピソードは、学生だった一茂さんへの100万円のおこづかいでしょう。
既に立派な体格で食べ盛り、しかも硬式野球部で日々激しいトレーニングを続けていたとはいえ、いつも100万円になっているようにそっと足してくれていたそうです。
金銭的にも感覚的にも、これは一般の家庭の母親にはなかなかできないことでしょう。
さすが長嶋家のエピソードです。(笑)
ただ甘やかしていたわけではないと思えるのは、一茂さんがプロになった時に契約金で返したというエピソードです。
これは一茂さんが、自分を含め4人の子供を育てながら父である茂雄さんを全力でサポートしていた母親・亜希子さんの厳しいながらも優しさ溢れる姿をずっと見てきたからでしょうね。
夫である茂雄さんとのエピソードもとても面白いものばかりです。
2人が出会った時に茂雄さんが一目ぼれしたというのはどうやら本当のようです。
何しろコンパニオンとしてオリンピックに参加していた亜希子さんに、茂雄さんは亜希子さんとの出会いから2日後には連絡をとり、デートの約束をしたといいます。
「全力投球」という言葉が似合う茂雄氏は、本人もかなりな多忙な日々だったにも関わらず、遠征試合などものともせず亜希子さんにもまっすぐに猛アタックをしたのでしょう。
結婚前のエピソードとして、亜希子さんとの初デートの当日、茂雄氏は早朝に起き、決めたデートコースを丹念にチェック、掃除をしたという微笑ましい話があります。
ここでも何事も全力の茂雄さんですね。
また、茂雄さんはプロ野球選手として既に有名人だったので、亜希子さんとの貴重な時間もマスコミの目があり、なかなか苦労したようです。
そこでも茂雄さんは愛すべき天然キャラクターを発揮。
しつこい記者たちに対し怒りをあらわにして出た言葉が
「僕にだってデモクラシーがあるんだ!」
隣にいた才女・亜希子さんの表情はどうだったのでしょうね。
もしかしてそれって「プライバシーの事じゃ・・・」とは言えないですよね。(笑)
そんな2人の進展速度は出会いから婚約会見まで約40日、結婚式まで100日強だったそうです。
茂雄さんのまっすぐで力強いアタックや、亜希子さんの決断力がすごいですね。
また、母親の亜希子さんを「すごい女性だった」と息子の一茂氏は語っています。
なぜなら茂雄さんの遠征時の荷造りや、スパイクなどの道具類の手入れは亜希子さんが一手に引き受けていたそうです。
特にバットなどいわゆる商売道具に関しての手入れ方法など、ずいぶん勉強されたそうです。
そんな亜希子さんの想いを知ってか知らずか、バットを忘れてバッターボックスに入ろうとしたり、試合を見に行ってエキサイトしすぎて息子の一茂さんを忘れてきた夫に亜希子さんはどんなリアクションをしていたのでしょう。
エピソードしてはかなり面白いですが。(笑)
時には腹を立てることもあったかもしれませんが、思わず笑ってしまったこともそれ以上にあったに違いありません。
恐らく笑い話の1つになったであろうエピソードが「茂雄氏、迷子になる」事件です。
ある日の試合後に茂雄さんは、どういう訳か家の場所を忘れてしまったというのです。
そこで茂雄さんは、田園調布の自宅のお手伝いさんに電話(電話番号はどうやらどこかに控えてあったようですね)。
知らせを受けた亜希子さんは、その時美容院に行っていたらしいのですが、当時の後楽園球場に迎えに行ったそうです。
なんとイベントの絶えない人生だったことでしょう。
茂雄さんは、まさに本能で亜希子さんのことを「自分に必要な人」として感じていたに違いありません。
面白すぎます!
茂雄さんの個人事務所の代表取締役も務めた亜希子さん。
周囲からはしっかり者と知られ、偉大な国民的スターの嫁として夫に敬意をはらいサポートすると同時に4人の子供も育てられました。
茂雄さんと亜希子さんとの数々のエピソードは、きっとこれからも長く語られていくことでしょう。
亜希子さんの64年の生涯、まさに全力で駆け抜けた人生ですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は「長嶋亜希子の経歴や長嶋茂雄との馴れ初め・エピソードを調査!」について紹介しました。
何より驚いたのは、亜希子さんのその経歴!
高学歴で留学経験もあり、語学も堪能って、すごい才女ですよね。
何より、それだけすごいキャリアがありながら、控えめにそっと長嶋家を支えたその気立てが凄いです。
長嶋家が上手くいっていたのは、おそらく亜希子さんがいたからでしょうね。
亜希子さんが亡くなってから、急に長嶋家がおかしくなっていった事を考えると明らかです。
今の長嶋家の騒動を、亜希子さんは天国からどう見ているのでしょうか。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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