こんにちは、まろです。
[5/15追記]
栗木史多さんの死因について訂正がありました。
低体温症とみられていましたが、実際には「標高7400メートルのキャンプ3地点から滑落して、頭や全身を強く打った事が原因」と発表されました!
ただし、滑落したものの遺体の損傷はそれほど大きくないという事です。
関係者からは、「葬儀については、ご遺族の意向により、親族のみで執り行いたい。
生まれ故郷の北海道の自然の中で静かに見送りたい」とコメントしています。
お別れの会は後日開く予定です。
訃報です。
8度目のヒマラヤ山脈、エベレスト登頂に挑戦していた登山家の栗木史多さんが急死されました。
栗木史多さんは登山家として7大陸最高峰の「単独無酸素」での登頂を目指していました。
その最後に残されたエベレストに挑戦中でした。
とても残念なニュースになりました。
今回はネットで注目されている「原因」や「告別式」について、また「登山家ではない」と言われているのはなぜか調べてみました。
それではいきますね。
1.「栗城史多」のプロフィール
プロフィール
[su_box title=”栗城史多のプロフィール” box_color=”#0d3cd1″ title_color=”#ffffff”]
- 名前:栗木史多 (くりきのぶかず)
- 生年月日:1982年6月9日
- 年齢:35歳
- 出身地:北海道瀬棚郡今金町
- 高校:北海道檜山北高等学校
- 大学:札幌国際大学 人文社会学部社会学科 卒業
- 肩書き:株式会社たお 代表取締役
[/su_box]
北海道出身だったんですね。
大きな大地を身近に育ったので、世界の7大陸最高峰「単独無酸素」で制覇!なんて大きい事を考えるようになったのでしょうか。
ちなみに世界の7大陸最高峰とは、
- アジア大陸:エベレスト(中華人民共和国・ネパール、8,848m)
- ヨーロッパ大陸:エルブルス山(ロシア連邦、5,642m)
- 北アメリカ大陸:デナリ(マッキンリー)(アメリカ合衆国、6,194m)
- 南アメリカ大陸:アコンカグア(アルゼンチン、6,959m)
- アフリカ大陸:キリマンジャロ(タンザニア、5,895m)
- オーストラリア大陸:コジオスコ(オーストラリア、2,228m)
- 南極大陸:ヴィンソン・マシフ(南極半島付近、4,892m)
(ヨーロッパの最高峰はエルブルス山ではなくモンブラン(4,810m)とする場合もある。)
とされています。
プチ情報
「元ニート」が売りでしたが、
「元ニート」 「元引きこもり」 を自称しているが、これはあくまでキャラクター作りのための設定であり、実際にはそのどちらでもない。
「元ニート」を名乗るようになったきっかけは、栗城の全国デビューとなる企画に、『電波少年』で知られる日本テレビプロデューサーが「ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ」というタイトルをつけたためである。
という事で、本当はニートではなかったみたいですね。
経歴
[su_note note_color=”#66b9ff” text_color=”#000000″]
- 2004年6月12日:マッキンリー(北米最高峰 標高6,194m)登頂。
- 2005年1月:アコンカグア(南米最高峰 6,959m)登頂。
- 同年6月: エルブルース(ヨーロッパ最高峰 5,642m)登頂。
- 同年10月: キリマンジャロ(アフリカ最高峰 5,895m)登頂。
- 2006年10月: - カルステンツ・ピラミッド(オセアニア最高峰 4,884m)登頂。
- 2007年5月: チョ・オユー(世界第6位高峰 8,201m)登頂。7,700m地点からスキー滑降した。
- 2008年10月:2008年10月 – マナスル(世界第7位高峰 8,163m)に「無酸素」「単独」登頂したと主張するが、ヒマラヤン・データベース、日本山岳会の双方から登頂を認定されていない。
- 2009年5月 – ダウラギリ(世界第8位高峰 8,167m)登頂。インターネット生中継を行う。
- 同年9月:チョモランマ・北稜北壁メスナールート(世界最高峰 8,848m)登頂を目指したが、グレートクーロワールに達せず、体力の限界により7,950mで敗退。
[/su_note]
これ以降7度のエベレスト登頂を目指すがいずれも途中で断念。
しかも、2012年には4度目のエベレスト挑戦の際、指が凍傷にかかりながらも登山を続けた結果、合計9本の指を切断するという不幸な事故も経験する。
危険と隣合わせの登山ですが、まさか9本の指を切断する事になるとは!
本当に怖いですね。
2.「栗城史多」の急死はなぜ?原因を調査!
ニュースや新聞では7千400メートル付近で体調不良になり下山途中だったとの事でした。
調べた結果、急死した直接の死因原因は「低体温症」だった事が分かりました!
特に滑落したようなひどい外傷はなかったそうです。
低体温症とは?
低体温症とは、体温が低下することでおこる疾患です。
体外に放出される熱が、自分で産出する熱より多くなり、体温が維持できずに起こります。
熱を発生させる筋肉量が少ない高齢者や小児などは、低体温症を起こしやすいので、さらに注意してください。
という事です。
もう少し解説すると、
体外に放出される熱 > 体内で作られる熱
という事ですね。
一般的には、
体のコアの部分の温度(コア体温)が35℃以下になった状態を「低体温症」といいます。
「コア体温」とは、核心温とも呼ばれる「心臓・肺・脳」の温度の事。
体温計で測る温度とは違い、これらの器官は通常37℃に保たれています。
このコア体温が35℃以下になると身体機能に異変をきたします。
身体が体温を調整出来なくなるのと、熱が体外に放出してしまい、体内の熱が下がってしまう悪循環となります。
結果体温が下がり、心肺機能や意識の低下となります。
おそらく栗木史多さんもこの状態だったのでしょう。
一般的な山での事故原因
これは一般的な山での事故原因ですが、
[su_note note_color=”#66b9ff” text_color=”#000000″]
[病気]
- 熱中症
- 高山病
- 低体温症
- 凍傷
- 日焼け
[怪我]
- 滑落
- 膝痛
- 靴ずれ・マメ
- 足のつり
- 爪の内出血
[/su_note]
が多いそうです。
予防出来るものもあるでしょうが、例えば高山病を調べてみると、
気象条件や個人差によって大きく異なり、一概に何メートルからとは言えませんが、一般に標高2400m以上で発症します。
2000m前後の山でも発症の可能性も。
という事で、登り始めてから急に発症する事もあるそうです。
他にも
- 酸素不足
- 低気圧
- 寒さ
- 紫外線
など、山には普段の日常生活とはかけ離れた自然の怖さがあります。
栗木史多さんの体調不良も様々事が原因だったのではないでしょうか。
「無謀」な登山ルート設定
もともと今回の栗木史多さんの登山ルートには「無謀」だったのではないかという声もあがっています。
今回のルートはエベレスト登山の中で最難関と言われる南西壁ルートからの挑戦でした。
栗城さんが目指していたエベレスト登頂は、「単独・無酸素」が条件で、しかもルートの難易度が極端に高い。
喝采を送るファンは多かったが、専門家からは無謀という声があったのも事実です。
3.「栗城史多」の告別式はいつ?
こちらはまだ詳しい事は何もわかっていません。
と言うより、まだ遺体が日本に帰って来ていないのではないでしょうか。
日本に帰ってくるかどうかもまだ未定です。
決まり次第まだ追加の情報をお知らせしますね。
もし日本で告別式やお別れの会をする時は、たくさんの方に指示されていた栗木史多さんです、きっと多くの参列の方がみえるのではないでしょうか。
4.「栗城史多」は登山家ではない!?と言われる原因は?
栗木史多さんについて「彼は登山家ではない」と苦言を呈している登山家の方も一部見えます。
今回栗木史多さんの訃報に際して、良いのか悪いのかは別にして、そういう意見もあったという事を紹介していきます。
先ずは栗木史多さんの代名詞のような「単独」「無酸素」という表現についてです。
単独登頂とは
一般的に登山界で言われる「単独登頂」とは、登山の行程の全てを一人で行い、初登頂者のベースキャンプを基準にしてベースキャンプより上で他者からのサポートを一切受けず、あらかじめ設営されたキャンプ、固定ロープ、ハシゴ等も使わずに登ること(アルパインスタイル)を指す
(wikipediaより)
これが登山界の「単独登頂」とすると、栗木史多さんの方法は、
栗城の言う「単独」登頂とは、ベースキャンプから自らの荷物を全て背負い登頂することのみを指すため、アルピニズムの見地から評価される「単独登頂」とは異なる。
栗城は他の登山隊が設置した固定ロープ等を使って登頂している。
またヒマラヤ登山の際には、栗城隊と呼ぶ大規模なサポート隊を編成し、シェルパが固定ロープ設置などのルート工作やキャンプ設営を行い、無線により気象情報や行動計画などのサポートを受けて登っている(極地法と呼ばれる)。
(wikipediaより)
つまり一般的な「単独登頂」とは「アルパインスタイル」であるにも関わらず、栗木史多さんは「極地法」という手法を単独登頂として行っています。
「アルパインスタイル」- 登山の工程を含めて他者の助けを借りずに全て本当に「単独」で登頂する方法。
「極地法」 - 食糧やその他のサポートを受けつつ、ベースキャンプからのみ「単独」で登頂を行う方法。
こう見てみると確かに違うような気もします。
無酸素登頂とは
一般的には、
「酸素ボンベ」を使用しないで登ることを、高所登山の世界では単に「無酸素」と呼ぶ
(wikipediaより)
なるほど、これはストレート、そのままの表現ですね。
まさにその通り。
一方、栗木史多さんは、
栗城の登山では、1つ下のキャンプにシェルパのサポート隊が酸素ボンベを用意して待機しており、いざというときは酸素ボンベを持って救助に行ける体制になっている。
栗城は2010年のエベレストで7900mのサウスコルに到達できず撤退。下山途中にインターネットによる生中継で「前日に体調が悪かったため、シェルパがC3に上げた酸素を吸った」と公言。
生中継中にも酸素ボンベを使用した
(wikipediaより)
としています。
これが良いか悪いかではなく、「手法」として違うのは分かります。
次に登山家の方からのコメントもあります。
清掃登山野口氏
プロガイド近藤氏
登山ライター森山氏
アルピニストの野口健氏からしても「失敗から何も学ばない」と手厳しいコメントをしています。
確かに結果だけ見ればエベレスト8度の登頂失敗は何かしらの原因があったのかもしれませんね。
更に登山ライターの森山憲一さんは自身のブログでも、今回の栗木史多さんの急死についても、
「詳しいことがまだわからない状況なので、まだ何とも言えません。
遺体が見つかったとされる場所や低体温症という報道から考えると、難しいルートを選んだことと、亡くなったこととの関連は薄いと思います。
なぜ亡くなったかについては続報を待ちたいです」
登山を専門に取材を続けてきた森山さんの目に、栗城さんは「かなり無茶苦茶なことをやっている」と見えていた。
ブログを書いた動機は、栗城さんの実績などからわかる実力と、本人が挑戦したいことのレベルに乖離がありすぎると感じたことだったという。
「まず西稜や北壁というルートもものすごく難しく、栗城さんのレベルで登頂できることはほぼ100%ないと断言できるものでした。
専門家ほど挑戦に対して無理と断言することは躊躇しますが、明らかに無理です。
例えるなら大学野球の選手が、メジャーリーグの本塁打記録を更新するようなものでした。
南西壁に関していえば、エベレストでも一番難しいルートで、日本人で『単独・無酸素』で南西壁から登頂できる登山家はいません。
世界を見渡しても1人、2人いるかどうかというルートです。
彼らですら、やってみないと成功するかどうかはわからない。栗城さんのレベルで、山頂に達することはありえないことです」
とコメントしています。
更に、
「挑戦については例年通りのことで、今年も登頂成功というニュースはこないと思っていました。
まさか、亡くなるという結果になるとは予想していませんでした。」
とも冷静に話しています。
やはり無謀な挑戦だったのでしょうか。
よく言えば「既存の方法」にこだわらす自分の方法で進めていく栗木史多さんに対して、生粋の登山家達からはあまりよく思われていなかったのではないでしょうか。
悪く言えば「自分勝手」とも受け取れますからね。
最後にこちらの動画もご覧ください。
サバイバル登山家の服部文祥さんが栗木史多さんについて「登山家としては3.5流である」とコメントしています。
テレビだという事をさしおいても、本音で話しておられる感じがしますよね。
服部文祥さんの人柄的にも。
良くも悪くも登山家達からはその実力を認めてもらえていなかったようですね。
5.まとめ
いかがでしたでしょうか。
栗木史多さんについて今回は注目していた点をまとめると、
[su_note note_color=”#66b9ff” text_color=”#000000″]
- 「急死したのはなぜ?・原因は?」 - 「低体温症」による心肺機能・意識の低下。身体機能の低下による体調不良によるもの。
- 「告別式はいつ」 - まだはっきりと決まっていません。
- 「登山家ではないと言われているのはなぜ?」 - 既存の登山家達の手法とは違う方法で登頂していたから。
[/su_note]
最後になりましたが、栗木史多さんの公式ページから動画を紹介したいと思います。
[su_youtube url=”https://www.youtube.com/watch?v=POwMqa1rQpE”]
良い笑顔で話していますよね。
ご冥福をお祈り申し上げます。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。